› 自然・自在 in みゃーく! › 2010年10月
沖縄本島の友人知人のみなさん!
またまた非常に強い台風14号(チャバ)が近づいていますよ~
夕方には「暴風域」に入りそう! 気を付けてください~
宮古島は現在「強風域」
昨夜からとても風が強いですよ!
またまた非常に強い台風14号(チャバ)が近づいていますよ~
夕方には「暴風域」に入りそう! 気を付けてください~
宮古島は現在「強風域」
昨夜からとても風が強いですよ!
第34回東平安名崎タートルマラソンが
総勢1030人のジョガーが参加した。 久しぶりの秋晴れの空の下
マイペースでゆっくり、ゆっくり走る!
親子で、友達同士で景色を楽しみながら走った!!
写真は「宮古新報」提供
総勢1030人のジョガーが参加した。 久しぶりの秋晴れの空の下
マイペースでゆっくり、ゆっくり走る!
親子で、友達同士で景色を楽しみながら走った!!
写真は「宮古新報」提供
旧暦9月の甲午(きのえうま)の11日から2日間、
来間島の伝統行事「ヤーマス御願」が行われた。
島建ての伝説に由来するスムリャー、ウプヤー、ヤーマスヤーの
3兄弟のブナカ(祭祀集団)に住民をはじめ島内外から縁者が集い、
豊年や子孫繁栄を願った。
前年の祭りからこの日までに生まれた赤ん坊をブナカに紹介し、
その誕生を祝う「マスムリ」が行われ、神歌とともに
「エーヤカ、エーヤカ」のハヤシ歌で神酒が座の全員に振る舞われた。
2日目は雨乞い座で祝宴が開かれ、各ブナカによる棒踊りや余興などが行われた。
大勢の人たちが年に一度の祭りを楽しんだ。
元気いっぱいに踊るヤーマスヤーの子供たち
余興でエイサーを踊った来間小中学校の生徒
激しく棒をたたき合う男性たち
雨乞い座の広場で踊りを披露するスムリャーの女性たち
各ブナカの男性たちによる勇壮な棒踊りが次々と行われた
余興で踊りを披露するウプヤーの女性たち
来間島の伝統行事「ヤーマス御願」が行われた。
島建ての伝説に由来するスムリャー、ウプヤー、ヤーマスヤーの
3兄弟のブナカ(祭祀集団)に住民をはじめ島内外から縁者が集い、
豊年や子孫繁栄を願った。
前年の祭りからこの日までに生まれた赤ん坊をブナカに紹介し、
その誕生を祝う「マスムリ」が行われ、神歌とともに
「エーヤカ、エーヤカ」のハヤシ歌で神酒が座の全員に振る舞われた。
2日目は雨乞い座で祝宴が開かれ、各ブナカによる棒踊りや余興などが行われた。
大勢の人たちが年に一度の祭りを楽しんだ。
元気いっぱいに踊るヤーマスヤーの子供たち
余興でエイサーを踊った来間小中学校の生徒
激しく棒をたたき合う男性たち
雨乞い座の広場で踊りを披露するスムリャーの女性たち
各ブナカの男性たちによる勇壮な棒踊りが次々と行われた
余興で踊りを披露するウプヤーの女性たち
旧暦9月の甲午 (きのえうま) の11日、 平良の池間島と西原、 伊良部の佐良浜で伝統祭祀 「ミャークヅツ」 がはじまった。
揃いのシャツを着て 「ヒヤサッサ」 と踊り子孫繁栄を祈願した。
祈りを込め歌を歌うツカサンマたち 。
ミャークヅツは数え55歳以上 (池間) の男性集団を中心に執り行われる集落最大の祭りで、 期間中は泡盛に練乳を混ぜた 「ミルク酒」 を酌み交わして楽しむとともに、 賑やかにクイチャーを踊って子孫繁栄と五穀豊穣を願うほか、 御願 (うがん) やこの1年間に生まれた子どもを迎え入れる 「マスムイ」 の儀礼などを行う。 池間島と、 その分村である西原、 佐良浜でも受け継がれている。
…………………………
ミャークヅツ=ミャークは現世、 ヅツは 「節」 とされる。 期限は定かではないが、 池間島では200年以上前とされている。 由来は仲保屋の池間の主が、 税金 (人頭税) の完納の祝いとして祭りを与えたというほか、 子どもが亡くなった悲しみで 「人生の無情から、 現世を楽しく生きよう」 とはじまったとの説が伝えられている。
「宮古新報」抜粋
揃いのシャツを着て 「ヒヤサッサ」 と踊り子孫繁栄を祈願した。
祈りを込め歌を歌うツカサンマたち 。
ミャークヅツは数え55歳以上 (池間) の男性集団を中心に執り行われる集落最大の祭りで、 期間中は泡盛に練乳を混ぜた 「ミルク酒」 を酌み交わして楽しむとともに、 賑やかにクイチャーを踊って子孫繁栄と五穀豊穣を願うほか、 御願 (うがん) やこの1年間に生まれた子どもを迎え入れる 「マスムイ」 の儀礼などを行う。 池間島と、 その分村である西原、 佐良浜でも受け継がれている。
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ミャークヅツ=ミャークは現世、 ヅツは 「節」 とされる。 期限は定かではないが、 池間島では200年以上前とされている。 由来は仲保屋の池間の主が、 税金 (人頭税) の完納の祝いとして祭りを与えたというほか、 子どもが亡くなった悲しみで 「人生の無情から、 現世を楽しく生きよう」 とはじまったとの説が伝えられている。
「宮古新報」抜粋